ミシェル・ゴンドリー
2010/09/30
2010/08/31
2010/08/19
Underworld
先日、銀座に行きました
銀座はとっても華やかな街、お洒落な街、大人の街、小奇麗な街というふうなイメージは
誰でも持っていると思いると思う
それは本当の銀座の顔ではないと
先日行って思った
銀座の本当の顔は路地なんだと
中央通りを歩いていてもそうそう見えない銀座の路地
しかしながら中央通りから3分ぐらいでそのアンダーグラウンドな世界が存在する
神楽坂とかの路地の方が見栄えは良いが路地本体が持っている性質のクオリティは負けていない
なんともアンダーグラウンドな場所であるが日本人の建前、本性と同じで、
都市に置き換えると本通り(メインストリート、大通り)で後者が路地
そこには居酒屋、キャバレー、バー、ソープ、料亭、麻雀屋
と少し危ない香りもするが
すべて人間の欲望をぶちまける空間である
アプローチがヒューマンスケールなためか客と客、客と店員、客1と店員と客2の関係性もヒューマンスケールである
こんな風に人間と接することができる場所なんて今時、稀有な存在だ
アンダーワールドでありながらそこは勇気と希望を与えてくれる
少しばかりお堅い文ですみません
2010/07/24
2010/07/03
ほふく前進のおっさん
こんにちは。ハヤシです。
今日紹介するのは
1967年東京生まれ 鳥光桃代
現在はニューヨーク在住のアーティスト
そんな彼女の作品
「宮田二郎」
今日紹介するのは
1967年東京生まれ 鳥光桃代
現在はニューヨーク在住のアーティスト
そんな彼女の作品
「宮田二郎」
このほふく前進するサラリーマンのおっさん
が
彼女の作品
このおっさんは
精巧な人物像でモーターが中に仕組まれている
そして看護婦の姿をした女性が今回のアーティスト。
この光景を撮影して
映像として流すこの作品はなんともユニーク
ニューヨークの街頭などで行われたそうだが
途中、バッテリーのチェックなどで
このおっさんの背中をパカッと開けて
整備している姿は
本当におもしろい
2010/06/19
ギリギリ一歩前の美しさ
こんばんは。ハヤシです。
今日紹介するアーティストは
須田 悦弘
これはすべて木彫です。
植物は、もう既に完璧なまでのフォルムをもって生まれ
それ以上の美しさはない
つまり
その植物を、違う素材で作り上げ
それ以上の美しさを生み出すことは不可能
けれども
この須田 悦弘の作品は
それ以上の美しさまではいかないものの
その植物がもつ美しさの
ギリギリ一歩前までの
美しさを表現している。
凄い。
2010/06/06
Saman Keshavarz
こんにちはーのーまです。
Saman Keshavarzは1986年生まれの映像作家。
イラン生まれのカリフォルニア育ち。
まだまだ新人だから作品は少ないけれど
彼の作る映像はスピード感、ビビッドな色使い、そして遊び心で溢れていて、みている人をどんどん引き込んでいくような気がします
CanonのCM
Cinnamon ChasersのPV
Saman Keshavarzは1986年生まれの映像作家。
イラン生まれのカリフォルニア育ち。
まだまだ新人だから作品は少ないけれど
彼の作る映像はスピード感、ビビッドな色使い、そして遊び心で溢れていて、みている人をどんどん引き込んでいくような気がします
CanonのCM
Cinnamon ChasersのPV
2010/06/05
2010/06/04
自己責任
こんばんは。ハヤシです。
今日は、アートじゃなくて違う話。
「自己責任」について。
そもそも、自己責任とは?
自分で決めて、自分で行動を起こして自分で解決すること?
すべての物事を自分で決めて、良くも悪くも解決すること?
説明するのは難しいことなのだけれども
たとえば
「私は、いろいろ自分で考えた結果今日限りでこの会社を辞めます」
と言ったとする。
それは、たしかにその本人が考えて明日以降、給料も仕事も無く不安定な世界に繰り出すこと
また、自由になることを想定しての決断なのだろう。
つまり、自己責任で今後の保証のない世界に繰り出すことを決めた。
しかし、本人にとっては自己責任なのだろうけど
その時点で、会社や親、その他の友人などにある意味迷惑をかけることになる。
それは、既に自己責任とは言えない。
他人にある意味迷惑をかけることになる。
学校を辞めるのも同様。
自分の責任としては、大学を辞めると将来にある程度影響が出るのかもしれない。
本人はそれを覚悟で責任を持って辞める。
しかし、それもすでに親やその他の人間に迷惑をかけることになる。
死ぬ時もそう。その人が何らかの理由で死ぬのは自己責任なのだが
その人が死ぬことで、周りの人になんらかの迷惑をかける
お金やら、葬儀やら、、、、、、、仕事、その周りの人の悲しみ。
そうなると、「自己責任」というものは成り立たない。
既に、自分にだけ責任が来るわけではなく周りの人間にまでその責任が訪れている。
では、何が自己責任なのだろう?
自分でよく「自己責任」という言葉を使う癖に
その自己責任が自己責任ではないことに矛盾を感じる。
自分以外にも周りに迷惑がいくこと事態が自己責任として収拾されているのか・・?
結局、「自己責任」なんて存在しないのではないだろうか。
人は、一人では生きていない。
と、改めておもう。
今日は、アートじゃなくて違う話。
「自己責任」について。
そもそも、自己責任とは?
自分で決めて、自分で行動を起こして自分で解決すること?
すべての物事を自分で決めて、良くも悪くも解決すること?
説明するのは難しいことなのだけれども
たとえば
「私は、いろいろ自分で考えた結果今日限りでこの会社を辞めます」
と言ったとする。
それは、たしかにその本人が考えて明日以降、給料も仕事も無く不安定な世界に繰り出すこと
また、自由になることを想定しての決断なのだろう。
つまり、自己責任で今後の保証のない世界に繰り出すことを決めた。
しかし、本人にとっては自己責任なのだろうけど
その時点で、会社や親、その他の友人などにある意味迷惑をかけることになる。
それは、既に自己責任とは言えない。
他人にある意味迷惑をかけることになる。
学校を辞めるのも同様。
自分の責任としては、大学を辞めると将来にある程度影響が出るのかもしれない。
本人はそれを覚悟で責任を持って辞める。
しかし、それもすでに親やその他の人間に迷惑をかけることになる。
死ぬ時もそう。その人が何らかの理由で死ぬのは自己責任なのだが
その人が死ぬことで、周りの人になんらかの迷惑をかける
お金やら、葬儀やら、、、、、、、仕事、その周りの人の悲しみ。
そうなると、「自己責任」というものは成り立たない。
既に、自分にだけ責任が来るわけではなく周りの人間にまでその責任が訪れている。
では、何が自己責任なのだろう?
自分でよく「自己責任」という言葉を使う癖に
その自己責任が自己責任ではないことに矛盾を感じる。
自分以外にも周りに迷惑がいくこと事態が自己責任として収拾されているのか・・?
結局、「自己責任」なんて存在しないのではないだろうか。
人は、一人では生きていない。
と、改めておもう。
2010/06/02
エキセントリック
こんばんは。ハヤシです。
今日紹介するのは
Tim hawkinson(ティム・ホーキンソン)1960~ サンフランシスコ生まれ。
代表作、ヴェネツィア・ビエンナーレ出展作品
「ペンテコステ」
大きさの違う本人の形をした木の人形が
肘や膝、頭を使って音を刻む。
これは本人の爪を集めって作ったらしい
機会を操作すると顔がおかしなことになるみたい
よく見ると赤ペンやら色鉛筆やら
手から手が生えてる
Timの作品はどのアートにも属さず、比較ができない
唯一、共通点としてでてくるのは
「身体」
と
「機能」
とても興味深いアーティスト。
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