2010/06/19

ギリギリ一歩前の美しさ

こんばんは。ハヤシです。

今日紹介するアーティストは
須田 悦弘 





これはすべて木彫です。

植物は、もう既に完璧なまでのフォルムをもって生まれ

それ以上の美しさはない

つまり

その植物を、違う素材で作り上げ

それ以上の美しさを生み出すことは不可能

けれども

この須田 悦弘の作品は

それ以上の美しさまではいかないものの

その植物がもつ美しさの

ギリギリ一歩前までの

美しさを表現している。

凄い。

2010/06/06

Saman Keshavarz

こんにちはーのーまです。


Saman Keshavarzは1986年生まれの映像作家。
イラン生まれのカリフォルニア育ち。
まだまだ新人だから作品は少ないけれど
彼の作る映像はスピード感、ビビッドな色使い、そして遊び心で溢れていて、みている人をどんどん引き込んでいくような気がします



CanonのCM





Cinnamon ChasersのPV



2010/06/05

AC



お馴染みの公共広告機構のCMをご紹介


エッジのきいたユーモア・アイディアに重たいメッセージがどっしりと盛り込まれてます


































2010/06/04

自己責任

こんばんは。ハヤシです。

今日は、アートじゃなくて違う話。

「自己責任」について。

そもそも、自己責任とは?
自分で決めて、自分で行動を起こして自分で解決すること?
すべての物事を自分で決めて、良くも悪くも解決すること?
説明するのは難しいことなのだけれども

たとえば
「私は、いろいろ自分で考えた結果今日限りでこの会社を辞めます」
と言ったとする。

それは、たしかにその本人が考えて明日以降、給料も仕事も無く不安定な世界に繰り出すこと
また、自由になることを想定しての決断なのだろう。
つまり、自己責任で今後の保証のない世界に繰り出すことを決めた。

しかし、本人にとっては自己責任なのだろうけど
その時点で、会社や親、その他の友人などにある意味迷惑をかけることになる。
それは、既に自己責任とは言えない。
他人にある意味迷惑をかけることになる。


学校を辞めるのも同様。
自分の責任としては、大学を辞めると将来にある程度影響が出るのかもしれない。
本人はそれを覚悟で責任を持って辞める。
しかし、それもすでに親やその他の人間に迷惑をかけることになる。

死ぬ時もそう。その人が何らかの理由で死ぬのは自己責任なのだが
その人が死ぬことで、周りの人になんらかの迷惑をかける
お金やら、葬儀やら、、、、、、、仕事、その周りの人の悲しみ。

そうなると、「自己責任」というものは成り立たない。
既に、自分にだけ責任が来るわけではなく周りの人間にまでその責任が訪れている。

では、何が自己責任なのだろう?

自分でよく「自己責任」という言葉を使う癖に
その自己責任が自己責任ではないことに矛盾を感じる。


自分以外にも周りに迷惑がいくこと事態が自己責任として収拾されているのか・・?

結局、「自己責任」なんて存在しないのではないだろうか。
人は、一人では生きていない。

と、改めておもう。

2010/06/02

エキセントリック

こんばんは。ハヤシです。
今日紹介するのは
Tim hawkinson(ティム・ホーキンソン)1960~ サンフランシスコ生まれ。


               代表作、ヴェネツィア・ビエンナーレ出展作品
                        「ペンテコステ」
                大きさの違う本人の形をした木の人形が
                  肘や膝、頭を使って音を刻む。

これは本人の爪を集めって作ったらしい

機会を操作すると顔がおかしなことになるみたい

よく見ると赤ペンやら色鉛筆やら


手から手が生えてる

Timの作品はどのアートにも属さず、比較ができない

唯一、共通点としてでてくるのは
「身体」
「機能」


とても興味深いアーティスト。